第Ⅰ部 土台:音・周波数・知覚 ─ 2
セントと比、音程の算術
音程の正体は周波数の「比」でした。ところが比は掛け算でしか積めず、暗算に向きません。そこで比の対数をとって「足し算で積める物差し」に変えたのがセントです。半音=100¢、オクターブ=1200¢。この物差しがあれば、「純正の長3度は 12 平均律より 14¢ 狭い」「31平均律ならそれは 1¢ 未満の差」といった微分音の会話がすべて数字でできるようになります。
この節はいわば、本書全体で使う電卓の使い方です。
セントの定義
セントは、オクターブ(比 2/1)を対数的に 1200 等分した音程の単位です。周波数 \(f_1\) から \(f_2\) への音程の大きさは
$$ c = 1200 \log_2 \frac{f_2}{f_1} \qquad\Longleftrightarrow\qquad \frac{f_2}{f_1} = 2^{\,c/1200} $$
で与えられます。12edo の半音がちょうど 100¢ になるよう設計されているため、12edo 育ちの耳にとって直感的な換算(「50¢=半音の半分(四分音)」「10¢=半音の1割」)がそのまま通用します。
そして本書の主役の一歩、31edo の 1 ステップは 1200/31 ≈ 38.71¢ です。
精密レイヤー ── なぜ log₂ か・単位の由来・精度の慣習
対数の底を 2 に、係数を 1200 に選ぶのは、
(1)オクターブ等価性により 2 が音組織の自然な周期であること、
(2)12×100 という分割が既存の記譜・理論と接続しやすいこと
によります。セントは19世紀末に A. J. Ellis が Helmholtz『音感覚論』の英訳・注釈で普及させた単位です。対数の物差しなので、音程の合成は加算、転回・下行は減算(負のセント値)になります。数値の精度について本書では、定義値(12edo の 700¢ など)は整数で、無理数になる値は小数第2〜3位までを示します。丸めた値どうしの加減算では末位に ±0.01¢ 程度の食い違いが出ることがありますが、議論に影響しません。
ほかの対数単位としてはオクターブを 1 とする octave(oct)、10 進の savart、対数の底を 3 、係数を 1300 に選んだ hekt という表記などもありますが、本書はセントに統一します。
音程の算術 ── 比は掛け、セントは足す
音程を積み重ねることは、比の世界では乗算、セントの世界では加算です。完全5度(3/2)の上に長3度(5/4)を積むと:
$$ \frac{3}{2} \times \frac{5}{4} = \frac{15}{8}, \qquad 701.955¢ + 386.314¢ = 1088.269¢ $$
15/8 は純正の長7度です。逆に音程の「差」は比の除算・セントの減算です。オクターブから完全5度を引けば完全4度:\( \frac{2}{1} \div \frac{3}{2} = \frac{4}{3} \)、\(1200 - 701.955 = 498.045¢\)。この「掛け算を足し算に変える」機構こそ、微分音理論の計算をすべて支えるエンジンです。第Ⅱ部で導入する素因数の格子も、第Ⅲ部の monzo(素数指数ベクトル)も、この算術の整理にほかなりません。
主な純正音程のセント値
以下は本書で繰り返し登場する純正音程
(小さな整数比の音程——正確な定義と「なぜ特別か」は第Ⅱ部1)
の早見です。各行のボタンで、基音 220 Hz との2音を試聴できます。
| 比 | 通称 | セント | 試聴 |
|---|
精密レイヤー ── 12edo との差を読む
上の表を 12edo(各音程が 100¢ の倍数)と見比べると、微分音の出発点が見えてきます。
3/2(701.96¢)と 12edo の5度(700¢)の差はわずか −1.96¢。
一方、5/4(386.31¢)と 12edo の長3度(400¢)の差は +13.69¢ もあり、同時に鳴らせばはっきりうなります(前節)。
さらに 7/4(968.83¢)に至っては最寄りの 12edo 音程から 31¢ 以上離れ、11/8(551.32¢)は半音の「ちょうど中間」に落ちて 12edo では表現不能です。
12edo は素数 3 の音程には優秀だが、5 でほころび、7・11・13 では手が届かない——この診断が、第Ⅱ部以降で音律を「組み直す」動機になります。
そして先取りすれば、31edo は 5/4 を +0.78¢、7/4 を −1.08¢ で捉えます。次のウィジェットで、その差を耳で確かめられます。
換算と試聴 ── 純正 / 12edo / 31edo
EDO のステップサイズ
オクターブを n 等分した音律(n-edo)の 1 ステップは 1200/n ¢ です。本書に登場する主な EDO を挙げます(それぞれの個性は第Ⅴ部で)。
| EDO | 1 ステップ(¢) | ひとこと |
|---|---|---|
| 12 | 100.00 | 通常の平均律。本書の出発点 |
| 19 | 63.16 | もう一つのミーントーンで、31 の姉妹 |
| 22 | 54.55 | Porcupine / Superpyth の本拠地 |
| 24 | 50.00 | 四分音、12 の倍 |
| 31 | 38.71 | 本書の主役。ミーントーンの実体化 |
| 41 | 29.27 | Schismatic ほか多面体 |
| 53 | 22.64 | 3-limit がほぼ純正 |
| 72 | 16.67 | 12 の6倍・Miracle の本拠地 |
精密レイヤー ── 相対セントという読み替え
EDO の内部で議論するときは、1 ステップを単位とする「ステップ数」で数える方が見通しがよいことが多く、誤差を 1 ステップに対する百分率(相対セント、relative cent)で測る流儀もあります。例えば 3/2 は 31edo では 18 ステップ(696.77¢、誤差 −5.18¢)で、これは 1 ステップの約 13% にあたります。ステップ数による音程の勘定は、第Ⅲ部で val(各素数を何ステップに写像するかの表)として一般化されます。
比の乗算=セントの加算という算術が全理論の土台。
12edo は素数 3 に強く 5・7・11 に弱い。31edo の 1 ステップは 38.71¢ で、5/4 を +0.78¢、7/4 を −1.08¢ の精度で捉える。
物差しは手に入りました。次節では、この物差しで測るべき最初の対象、自然が用意した音程の設計図「倍音列」に進みます。